旧き良き温泉街に佇む、創業300年の日本旅館です。
『小説の神様』と呼ばれた文豪、志賀直哉の名作「城の崎にて」はここから生まれました。
2013年にリニューアルを行いより快適に風情を楽しんでいただけるようになりました。
下駄の音が鳴り響く賑やかな温泉街の中心にありながら、一歩足を踏み入れればそこには静かでゆっくりと時が流れる閑静な空間が広がります。
三木屋の起源は、現在の兵庫県三木市にあります。
1492年初代城主の別所則治により三木城が築城。
1580年に豊臣秀吉による三木合戦(三木の干し殺し)によって落城。5代城主の別所長治は城兵達の命を助ける事と引き換えに妻子兄弟と共に自害する。
(長治の辞世の句「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば」の歌碑は今も三木城跡の上の丸公園にあります。)
落ち延びて城崎の地にやってきた城兵の子孫が、元禄年間に自身の起源である三木城と城主を偲び「三木屋」と名付け旅館を営んだのが始まりとされております。
明治、大正から昭和にかけては「城の崎にて」の著者、志賀直哉を初め白樺派の面々や柳田國男などの文人、山下清、小磯良平といった画人など多くの文化人が当館を訪れました。
創業以来、様々な歴史を受け継ぎながら300年以上の時を経て現在は10代目を数えます。
志賀直哉が好んで宿泊した「26号室」
大正2年、30歳の時に山手線に轢かれ大怪我を負った後の養生に城崎温泉を訪れ、当館へ約3週間逗留されました。その間に当地で目の当たりにした蜂、ネズミ、イモリの3つの生き物の死と、九死に一生を得た自分とを照らし合わせて名作「城の崎にて」は執筆されました。
以降長きに渡りご贔屓にして頂き、執筆の為にお一人で、白樺派のご友人やご家族とのご旅行など様々なシチュエーションでお越し頂きました。
志賀直哉直筆の葉書
大正14年の北但大震災によって当館は一度倒壊しましたが、昭和2年の再建以降の愛用のお部屋や当館主人宛ての直筆ハガキなどは今でもご覧いただけます。